やらなかったこと10

短答試験お疲れさまです。東京は気候的にもコンディションがよかったのではないでしょうか。私も気が向いたら解いてみたいと思います。

 

その10.論文模試の結果を一切見なかった

採点者の講評の品質が悪かったからです。特に大手の予備校の論文模試になると何千通とかになるので予備校の人員だけでは回らないようで試験の合格者にあたって採点者を確保したりもするようです。実際私にも依頼がきました。こんな状態ですので、採点者によるためになる講評に出会える方が稀有かもしれません。

論文模試の受けはじめで、状況が分からなかったころは講評まで読んで次に活かしたい気持ちもあったのですが、論文試験に向けて自分を鼓舞するためには必要がないと考えるようになりました。私の中では、答練や論文模試は制限時間内に自分の考える論点を的確に記述し、その模範解答を得る場という位置づけになりました。採点者がどう思うかはどうでもいいという考え方です。本番でその人に採点されるわけではないし。その代わり模範解答は最大限に活用しました。青本の焼き直しではなく論理的に考えないと前に進めない問題などは特に集積の対象です。絶対自分のものとして会得するまで練習しました。私はこの活用方法でよかったと思っています。

というのも自分が論文試験に合格した年の直前期に一つの予備校に偏らないようにうまく論文模試をやりくっていたとき、論点落ちはあったが、最後まで書ききっているしまずまずの出来だと思っていた答案の採点が返ってきて20点台の得点がついていたのを見たときでした。逆に何を採点したのか問いたかったし、直前期にこんな点をつけて何の激励になるのかと思ったし、単に杓子定規に模範解答と見比べて項目が落ちているから減点で、減点が積み重なってその得点という何の収穫もない採点と講評だったので、残念ながら自分の気持ちを上げる言葉は一言も書かれていないと判断してそのまま捨てました。その後もその予備校の模試は何回か受けましたが、絶対に結果は見ずに捨てました。

採点者は模範解答通りに採点したので適正に仕事をしたのでしょうが、直前期の貴重な1日を潰して丹精込めて書いた答案がそのように扱われるのは自分としては採点者の品性に欠けるんじゃないかななどと思うわけです。